アウシュビッツ強制収容所を見学した一大学生の学びをシェアします。

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こんにちは。工藤(@itllbedark)です。

 

12月の下旬に人生で2度目の海外旅行へ、ポーランドに行ってきました。

その中で、『アウシュビッツ強制収容所』を見学してきたので、そのまとめと感想を書こうと思います。

 

始めに断っておきたいのは、僕は中学・高校時代は歴史の授業が苦手で(それで理系に逃げた)まともに世界史を学んでいませんでした。

僕にとって『アウシュビッツ強制収容所』は、”第二次世界大戦中に起きたユダヤ人の大量虐殺” 程度しか認識していませんでしたが、日本に暮らしていればこれと同じような認識の人は多くいると思います。

 

一方で、ヨーロッパでは学校での教育の一環として、いわゆる日本人の広島や長崎、沖縄への修学旅行のような形で、子どもの頃からこの場所を訪れ、過去の悲劇を学び、考える時間を与えられているそうです。

この記事では、画像を多く使いたいと思います。これは僕自身が実際に見学に行ったことで、教科書の文字やテレビの中の自分とは違う世界ではなく、想像することを辞めたくなるほどのリアリティを感じることができたからです。

僕と同じようにアウシュビッツ強制収容所についてぼんやりしか理解していない人はもちろん、あの場所を見学した一学生がどう思うかについて読んでいただきたいです。そして、それぞれがこの記事をきっかけに、初めて、もしくはもう一度考えるきっかけになればと思います。

(アウシュビッツ強制収容所について知識ある方は[一大学生の僕が感じたこと]から読んでみてください)

 

また、今回の見学はアウシュビッツ強制収容所のガイドの資格を持つ、唯一の日本人である中谷さんに案内していただきました。ガイドなしでも見学できるそうですが、知識の量や学びの質が桁違いに変わると思うので、もし訪れることになれば予約して見てください。

 

アウシュビッツ強制収容所について

まずは『アウシュビッツ強制収容所』とは何かを、僕が学んだ範囲で話そうと思います。

上の画像にある ”ARBEIT MACHT FREI” という言葉。日本語訳で「働けば自由になる」という意味です。

この言葉通り、この施設に収容された被収容者の方々は、労働を強いられていました。

 

最初の被収容者はポーランド人

ユダヤ人の印象が強いアウシュビッツ強制収容所ですが、ここに最初に収容されたのはポーランド人だったそうです。

第二次世界大戦の発端である1939年のナチス・ドイツによるポーランドへの侵略の後、反対するポーランド人勢力を収容するために設置されたものでした。その被収容者の多くは、聖職者や研究者などの知識人だったそうです。

そこから、ソ連軍の捕虜や、ジプシーと呼ばれた中東の移動型民族、障害を持つ方、同性愛者、エホバの証人などが収容されていきます。その中でも、この施設に収容された90%がユダヤ人でした。

 

ヨーロッパ中の収容所

このような収容施設はポーランドやドイツのみではなく、上の画像のようにヨーロッパ各国に存在していました。

これらの収容所で虐殺された人数は今もまだ把握できておらず(というのも国籍や身元を証明するものを全て強奪されたため)、少なくとも8,000,000人と言われています。

その犠牲になった人々は、ユダヤ人だけではなく、ソ連軍の捕虜、同性愛者、ロマ、障害者などでした。その中でもユダヤ人は5,800,000人の犠牲があったと言われています。

 

被収容者が強いられた労働

収容された人々は強制労働として、朝から夜まで働かされました。まず彼らがさせられたのは、強制収容所の建設でした。被収容者によって、更に収容できるよう上の画像のような施設を建築させた訳です。

次に、当時の大手企業(主に炭鉱だそう)に労働力として利用されました。もちろん十分な給料はありませんでした。

意外に思ったのは、このように強制収容所を出て仕事をしていたこともあったということです。

 

過酷すぎる労働環境

強制収容所という名前ですが、特定の収容所では被収容者の虐殺が行われていました。アウシュビッツ強制収容所もその中の1つです。

 

被収容者は施設に到着してすぐに、働けるかどうかの選別を受けます。そこで働けないと判断された人は子どもであろうとすぐに殺されてしまいます。

 

また、労働力として認められた被収容者も、その場で全ての持ち物を奪われ、下の画像のような服装で冬だろうと関係なく労働させられ、何かミスがあればすぐに罰が与えられます。たとえミスがなかったとしても体罰をはじめとする罰を受けたそうです。

食事もまともに与えられないため、多くの被収容者は体力を失うことになり、働けないと判断された時点で殺されることになります。

 

毒ガスによる大量虐殺

労働力と認められなかった、もしくは体力を失った被収容者の虐殺の方法として、主に使われたのが毒ガスでした。

被収容者は殺されることが決まると、シャワーを浴びると言われ毒ガス室へ入れられます。そこでまず服を全て脱ぎ、次の部屋に進んで、毒ガスによって20-30分かけて殺されたそうです。この部屋には実際には使われることのないシャワーの器具を取り付けており、被収容者の疑いを晴らすよう工夫されていたそうです。

上の画像は、毒ガス(殺虫剤)が入っていたドラム缶、下の2つは毒ガスを投入する穴と、死体を燃やす部屋の煙突です。

もう収容する場所を確保するために、この虐殺は繰り返され、収容所にはその匂いが満映していたそうです。

この大量虐殺をホロコーストと呼びます。

 

被収容者自身による管理体制

このような、一時はアウシュビッツ強制収容所だけでも140,000人もの数の人を管理する体制は巧妙に考えられていてゾッとしました。被収容者を管理するのはドイツ軍だけではなく、被収容者にも役割を与えていたそうです。

 

まずはカポーという役職から説明します。

被収容者の中からこの役割を割り当てることで、生存する権利を与えると同時にその他の被収容者を管理する仕事を与えました。その方法は主に暴力によるものであり、当初は本当に暴力犯罪者を収容所に連れてその役割を与えていたそうです。

 

続いて、ゾンダーコマンドについて。

これもまた、被収容者を殺害し、その後の死体の処理も被収容者が行うというものです。これによって、ドイツ軍側の施設の運営者の精神的な負担を減らしていたといいます。

 

 

本当にざっくりとしか紹介できていないですが、その非人道性や異常性を十分に感じてもらえたのではないかと思います。

もっと知りたい方は、僕が見学へ行く前に読んだ『夜と霧』という本をお勧めします。

これは、収容所を実際に経験された心理学者が執筆した経験談です。主観的ではあるものの、それを客観的に書かれていて、スッと頭に入ってくる内容なので読んでみてほしいと思います。

夜と霧 新版

なぜこんなことが起こったのか

なぜ想像を絶するほどの数の人間を、ここまで残酷に虐殺することができたのでしょうか。どうすればこのような悲劇を今後起こさないで済むのでしょうか。

アウシュビッツ強制収容所を案内してくださった中谷さんのガイドで、この問いについて考える機会を多くいただきました。ヨーロッパ諸国の教育課程でこの場所を見学するのは、それについて考えるためだそうです。

 

決して過去の悲劇を嘆き、犠牲者を悼むのみだけではなく、二度とこのようなことが無いように歴史から学ばなければならないと僕も強く思いました。

 

ホロコーストが生じた原因について、様々な意見や回答があるかと思いますが、僕がアウシュビッツ強制収容所を見学して、現段階で学んだことや感じたことを書いていきたいと思います。

 

ポピュリズムによる少数派の排除

ガイドを受けて学んだことの1つがこれです。

当時、第一次世界大戦の敗北や世界恐慌によって、経済的に困難な状態にあったドイツの国民の不満の捌け口として矛先を向けられたのがユダヤ人でした。

ドイツの大多数であったいわゆる “ドイツ人” の投票によって政権を握ったのがナチスであり、マジョリティの意見が強くなってしまいマイノリティが排除され弾圧されてしまうことは、民主主義の1つの欠点なのだと学びました。

 

数値化により削ぎ落とされた人間性

強制収容所に展示されたいた資料には、虐殺された人数や強奪した財産を数値化していました。そもそも、被収容者も数字で管理されていたそうです。

こうした数値化により一人ひとりの被収容者の持つ人間性を削ぎ落とすことで、ドイツ側は人間を殺しているという当事者意識を感じることなく、人間を機械的にモノ扱いできたのではないかと思いました。

 

傍観者となったマジョリティ

ユダヤ人をはじめ、多くの人々が収容されている一方で、大多数という枠組みから抜け出すことができずに傍観者となりコンフォートゾーンに留まる人もいたそうです。(声をあげても収容されてしまうのですが)

この構造は、まさに学校におけるイジメと同じ構造のように思います。声が大きく力のある者がそうでないものを攻撃し、それを見て見ぬ振りをするのが大半という構図。

正しい方ではなく、大多数の方を選んでしまうことの危険性を感じました。

 

人々が根本に持つ差別心

戦後、この問題の責任の所在が明確にならなかったそうです。

収容所で暴力や虐殺を行った人は役割に従っていただけと主張し、その役割等のシステムを作った人は政策や法に従っていただけだと主張します。

そして、その政策や法を生み出した政治家もまた、国民一人ひとりに選ばれた一人です。

どこに原因があるかは、まだまだ知識を深め思考したいと思いますが、僕が感じるのは決して「上の人が言ったから」このような事態になったのではないということです。

根本にあるのは、国民一人ひとりの差別心だと思います。自分が正しい、自分こそが多数派であると考える結果、マジョリティのユダヤ人や同性愛者、障害を持つ方や、異なる意見を持つ人間に偏見を持ち、差別的に扱ってしまうその心が、社会全体の価値観を構築し、世論となり、政策や法を作り上げるまでになるのだと。

 

一大学生の僕が感じたこと

ここまで、アウシュビッツ強制収容所について、そしてそれが生じた原因について触れました。

ここからは、日本に住む一大学生の僕が、この見学を経て感じたことを書いていきます。

 

平和ボケしてた

普段から社会問題に対して、取り組みを行っているせいか、どこかで平均よりも社会や平和について考えているつもりになっていましたが、明らかに平和ボケしていました。

僕は戦争のない日本に生まれ、今までそれを感じたことはなかったです。強制収容について、自分に当てはめてみるなら、一般的な生活を送っていたのに突如収容されるようなものです。しかもその理由が「大阪人だから」というようなもの。

こんなにも戦争や虐殺が日常のすぐ傍にあることを感じたことは初めてでした。

 

愛の持つ二面性

次に、愛の持つ二面性についてです。

前提として、僕は愛が差別的なものだと考えています。

しかしそれの全てがいけないことだとは思っていません。

 

他の人よりも愛するから親子の愛は美しく、他の地域よりも愛着があるから地元愛や愛国心は時に素敵に思えます。

その一方で、この愛の差によって生まれる排除や弾圧などには否定的です。

子どもの幸福を願うからこそ、子どもを傷つける可能性のある人への偏見や差別的な行動をとってしまうこと、愛国心が強すぎるからこそ外部の人間を排除してしまうことなど、改めて考える機会になりました。

 

差別心と向き合う

僕は、差別心は誰でも持っているものだと思います。

自分は差別なんてしていない!と思っている方は、一度考えてみて欲しいです。

「障害者はなんか怖そう」

「イスラム教はなんか怖そう」

「難民の人たちはなんか怖そう」

この「なんか怖そう」などの根拠のない意識こそが差別心だと思います。

 

もちろん僕の中に差別心が一切ないわけではないですが、本当に怖いのは障害者という理由だけで大量殺人を犯したり、イスラム教徒というだけで無実の人に暴行を働いたり、難民という理由だけで全面拒否する人間だと感じています。

それ以外にも、女性への差別や、労働者への差別など、ほかにも様々なマイノリティへの差別心が存在していると思います。

大切なのは、自分の中に存在する差別心を認識し、コントロールすることだと思います。

 

空気に流されない

上の差別心は、その社会の持つ共通の価値観であり、それは周りの環境や教育された環境によって大きく変わってくるものです。

しかし、その社会の空気に流されては、また同じことが生じてしまう、もしくは既に生じてしまっているように思います。

自分の意志を持ち、「みんながこう言うから」「他の人もこうだから」と言って思考を放棄せずに、大多数の方を選択するのではなく、自分が正しいと思う方を選ぶことが大切だと思いました。

そうでなくては、マイノリティや社会的弱者が排除・弾圧され、ホロコーストのような悲劇がまた繰り返されるのではないかと、恐怖を感じます。

 

空気を作り上げる

一方で、人はどうしても空気に流されるものだと思います。(僕も金欠なのにノリでご飯行っちゃったりします)

これは、この社会で生きていく上では大切なスキル、いわゆる「空気を読む」というものです。なので、その読む空気を良いものに創り変えていくことが大切なのだと思います。

壮大な話ですが、少しずつその価値観を教育することは可能です。数年前まで、喫煙者が堂々としていたのに、今となっては邪魔者扱いされてるのがいい例かなと思います。(喫煙者の人すみません)

 

僕は人生を通して、「優しさを是とする価値観を教育する」仕事をしていきたいと思っています。他者の幸福を願い行動することが是となり、蔑ろにすることが非となれば多くの人が自然と社会をより良くする行動をとると考えているからです。

 

ヴィーガンとして

僕自身、実は日本ではマイノリティであるヴィーガンというライフスタイルを送っています。

これは、動物を利用するべきではないという考えから、動物性食品や毛皮商品などの利用を避けるというものです。アウシュビッツ強制収容所の見学から、現在の人々の動物に対する認識や扱いと共通するものを感じました。

 

これについて、ここでは3つだけ紹介します。

①根本にある差別心として「弱肉強食(自分より弱いから殺していい)」があることや、共通の価値観として動物性のものは必要という考えがあること。

②生産現場である屠殺場から消費の現場を遠ざけ、スーパーで見るのは〇〇gと数値化されたものにすることで自分が意志ある生き物を殺しているという当事者意識を削ぐ落ちされていたりすること。

③「みんな食べてるから」「それが当たり前だから」という、社会的弱者である犠牲者の動物ではなく、マジョリティ側からの思考放棄による加害。

などがありました。

 

これらをまとめた記事はこちらからどうぞ。

ホロコーストと工場畜産

 

今日から小さな実践

こういったことを学び、過去の悲劇としてただ嘆いているだけではなく、小さくても今日から何かしら実践することが重要だと思います。

まずは自分の差別心に気付くことから始めてみようと思います。

日本でなら、次に女性や障害を持つ人やホームレスの方への対応を改めたり、他国の労働者や利用される動物を思ってフェアトレードやヴィーガンの商品を買ってみたり、色々なことができるなと、明日から楽しみです。

 

少し重たい内容でしたが、忘れてはならない歴史を学び、それを教訓に二度と同じ過ちを犯さないように、自分ができることから始めていきたいと思います。

この記事を読んで、同じように次の瞬間から行動が少しでも変わる方がいることを願い、そして、そんな人たちとより良い社会を、平和な世界を作れることを楽しみにしています。

長い文章でしたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。

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✏️ 書いている人

工藤 柊 / Kudo Shu

1999年2月28日大阪生まれ。高校3年生で環境問題・動物倫理からヴィーガン生活を開始。神戸大学国際人間科学部環境共生学科に入学後、学食へヴィーガンメニュー導入、ヴィーガンカフェThallo店長など活動。学生起業しNPO法人設立後、事業拡大のため2020年4月に株式会社ブイクックを創業。夢は世界平和。趣味は恋バナと漫画・アニメ。

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