こんにちは。工藤(@itllbedark)です。
実は僕、2016年の11月からveganというライフスタイルを選択しています。
今回は、ヴィーガンを実践するそんな工藤に最もよくある質問への回答の記事になります。
その質問がこちら。
Table of Contents
「どうして植物は食べていいの?」
同じ命なのに、動物は食べずに、なんで植物は食べてるんだ?という疑問は誰もが頭に浮かぶものだと思います。
そんな疑問を抱く方へ、中学生でもわかるように解説していきます!
なぜ動物は食べないのか
「どうして植物は食べていいのか」という質問の枕詞には「動物を食べていないのに」が頻繁につきます。言葉にしていない場合でも、このような考えが前提にある質問だと思います。
ですので、まずは動物を食べない選択の理由から振り返ります。
そもそも、どうしてヴィーガンを実践し始めたかを詳しく話すと、とても長くなるので詳細が気になる方は以前書いた記事を読んでみてください。
ここではざっくりと食べなくなった背景を説明すると、あるきっかけで家畜がどのような状態に生きているかを知りました。そして、その残酷な状況を生み出しているのが、自分の“肉を買う”という行動だと理解しました。
その次の日から肉や魚、牛乳、卵などの動物性食品を食べないようにしています。
自分が思いやりを持つことができる、つまり僕にとって気にかけるべき“他者”の領域に動物は含まれています。そんな動物を犠牲にすることはできないのです。
もちろん、工藤が生きていくためには何かを犠牲にして食べなければならないと考えています。
しかし、これまでの人生で多くの人から与えられてきた考えや価値観では、動物は生きる為に食べる“対象”としてはみることが出来ないのです。
植物も命があるのに食べる理由
では、本題です。
どうして同じ命なのに植物は食べていいのか、という問いです。
この答えは、「2つの理由で、より良い選択をしているから」というものなります。
先進国で、特に不自由なく育った工藤は、何を食べるか選択する自由があります。しかし同時に、何を食べるかを選択するかの責任が生じます。
そしてその選択の積み重ねで社会が構築されていきます。
大切なことは自分で基準を設け、何を選択するかを決定することです。
理由①感情の有無
まず1つ目の理由は、「感情」です。
先ほども書いた通り、僕にとって動物は気にかけるべき“他者”です。それに対して植物は、食べる“対象”として割り切れます。
僕にとっては、自分の家族と他人、日本人と外国人、人間と動物、そして動物と植物と分類していくと、動物と植物が他者と対象の境界線なんですね。
植物の命を軽視していると言われればそうなのかもしれません。
こういった感覚的なものが1つめの理由です。
理由②犠牲の量
そして2つ目は、「犠牲の量」という理由です。
ご存知の通り、牛肉を1kg作るのに飼料が10kg必要であり、その飼料となるトウモロコシや大豆や小麦を育てる為に多くの土地、水、化石燃料が使用されています。飼料の価格の高騰によって、人間の食べ物の価格も上がり、飢餓にも繋がっていると言われています。
また、家畜は日本だけで毎日何万という数が殺されており、彼らの出すメタンガスや排泄物によって多くの環境問題が生じています。
つまり、動物を食べるよりも植物を食べたほうが、動物や植物にとっても、地球の環境にとっても、僕ら人間にとっても犠牲の量が少ないんです。
もちろん、植物を食べていたとしても、農薬や食料自給率などの問題もありますが、どちらかを選択して生きて行くとなれば、犠牲の量という軸においても植物を選択します。
まとめ
このように、「どうして植物は食べていいの?」という質問に対しての回答は、
「選択する自由によって生じる責任がある以上、”感情”と”犠牲の量”という2つの軸においてより良い選択をする」
という回答になります。
では、最後までお読みいただきありがとうございました!