同志
『「良い人」から降りる』の記事を書いた時、最後に「『最高の世界』を共有する人を、同志と呼ぶのかと思った。」と書いた気がする。
オランダに向かう飛行機の中で、手紙を読んだ。ぴょんさんと夕葉さんから、出国前に受け取った手紙だ。
手紙を読んで、「同志」という言葉が真っ先に頭に浮かんだ。
ありがたい
そもそも、僕が国内事業に何の心配もなく、今この飛行機に乗れていること自体、あの猫を見た10年前の僕からすると、奇跡的なことなのだ。
同じ理想の世界を思い描き、その世界を実現させるために有限で貴重な人生を使うという覚悟の決まった仲間がいるなんて、想像もできなかった。
というよりも、これまで出会いと同じだけ経験してきた別れに伴う「一人でもやるんだ」という学習の積み重ねが、そんな想像をすることもあまりなかった。
背中を預ける、というのはこういう感覚なのだろう。
そして、それは二人に限った話じゃない。
同じ志を持って、ブイクックで働くメンバーがいることを、本当に本当に心強く思っている。
きっと、これからたくさんの失敗をするだろうと思うけど、それでも最終的には大丈夫だろうと思える。根拠はないが、これが全幅の信頼というものなんだろう。
信頼できる人間がいるというのは、穏やかで安心するし、僕の人生にとって宝のような存在なのだと実感する。
ありがたい。
起業した頃の想い
多くの苦しみを抱えながらも、腐らず、心の火を消さずにいてくれたことに、心からの感謝と尊敬を伝えたい。
その火を灯し続けたゆえに、社会に適応できず、斜に構えたり、心を鈍らせたり、逆に気遣い過ぎたり、強い人格を設けたり、そんな姿に愛しさすら感じる。
僕は、そんな不器用で素直な、優しくて冷たい人間が大好きで、そんな人たちの役に立ちたいと思ったから起業したことを思い出した。
優しくて、他者のために行動できる人間が報われない社会に、心底がっかりした。
なぜこんなに優しいおっちゃんが、会社で孤立して寂しさを感じないといかないのか?
なぜこんなに純粋で動物を思って行動できる高校生が、そのせいで孤独を感じなければならないのか?
僕は、彼ら彼女らを肯定したい。
周りの人間と違っても、理解されなくても、自分で自分を肯定できるようになってほしい。
久しぶりにそんな想いを思い出した。
社会からの否定
ヴィーガンの生活、そして事業をしていると、それだけで社会から否定される気分になる。というか否定されている。
街中では肉メニューの看板が並んでいるし、電車の広告にもステーキを頬張って笑顔な人たちが映る。
ある銀行員には「うちにもヴィーガンの職員がいるけど面倒くさくてね」と言われ、名前も知らない匿名アカウントから「肉うめぇ」とコメントされる。
本当にクソみたいな状況だ。
だから、僕は「今の状況はクソだ。こっちの方が良いんだ」と、堂々と語りたい。
そして、理想を語ると同時に、現実世界で実行によって成果を出したい。社会に変化を与えたという成果を。
そして、必死に心の火を絶やさずに生きる世界中の同志にとって、僕のその姿が少しでも希望になれたら嬉しい。
僕自身も
なぜそう思うのかを考えてみると、僕自身も救われたのだ。
僕が善いと思ったことを、社会から否定され続けて疲弊していく中で、同志がいることに背中を押されたのだ。
心の火に、そっと薪を継いでくれたような感覚だった。
だから僕もそう在りたいと、心から思っているのだと思う。
頑張ろう
家族にヴィーガンのことを理解されず、家に帰れずに泣きながら駅のホームから連絡してくれたあの高校生は、今どうしているだろうか。
もう火は消えてしまっただろうか。
まだなんとか守ってくれているだろうか。
こんなにも遅くなってしまっていて、申し訳がない。それでも、それが当時の僕の精一杯で、今からできることは最大限頑張ることでしかない。そして、その最大限を広げることだ。
ありがたいことに、仲間には恵まれている。
日本事業の成長に負けず、僕はヨーロッパで爆発的な成長を生むことに集中したい。
そして、僕にとってみんなが支えになってくれているように、僕もみんなの支えになれるように、心を燃やし続けたい。
ありがとう。頑張ろう。
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