どうやって世界を平和にするか?

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最近お世話になっているコーチとの会話の中で、「5年後、10年後にどんな自分で在りたいか?」という問いが出てきた。これに対しての解を出すには、そもそも「どんな人生にしたいか?」というもう少し長期的な問いに向き合う必要があり、またその目的にあたる「何のために人生を費やしたいか?」という問いに立ち返ることになった。

僕の夢、言い換えれば僕の人生を費やすに値すると納得できる目的は「世界平和」であると明確に答えることができる。

これについては、過去のブログにも書いてきたが、僕は不条理が大嫌いで、許せない。戦争や貧困、環境問題、工場畜産、差別など、不条理な苦しみや死を与える構造や社会を、どうにかしたいと考えている。

この記事では、世界平和の是非や志した経緯については触れない。世界平和をどのように実現させるかについて、僕の考えを記録する。これを元に、次に会った時に話のネタにして、一緒に議論していけると嬉しい。

世界平和とは何か

世界平和について話す前に、まずは「世界平和とは何か?」という問いに対する、僕の個人的な考えを共有しておきたい。

僕が思う世界平和とは「社会が恒常的に世界平和に近づき続ける状態」であり、その根底にあるのは「人間が持つ世界平和(より良い社会)を目指す意志」だと考えている。

つまり、こうすれば世界が平和になったというゴールは存在せず、一方で存在しないその状態を目指し続けることこそが世界平和なんじゃないかと思う。

誰かの失敗や苦しみの上に更新され続けてきた”法”や、多くの課題に対して先人たちが積み重ねてきた”技術”、国民の維持し続ける努力によって成立する”民主主義”のようなものであり、これらは、世界平和を実現させるための手段の1つなんだと思う。

これらの根本には、「これ以上同じように苦しむ人が増えないように」「もっと多くの人を救えるように」という、より良い方向へ社会を進めたいという意志があるのではないかと仮説立てている。

世界はいつ平和になるのか

しかし、未だに世界は平和ではない。戦争は終わるどころが新たに始まった。差別は身近に存在し続け、そのクソみたいな言動に周囲が笑って空気を読む始末だ。暖かい部屋でブログを書く僕や読んでくださる方々がいる一方で、今も腹を減らして路上で凍える人がいる。

多くの人が「より良い社会に」と考え、行動してきたにもかかわらず、未だに死や苦しみはなくならない。

「世界はいつ平和になのか?」と考えると、その途方もなさに悲しくなるが、これは数百年、数千年の時間がかかるビッグプロジェクトであると割り切ることにした。

そもそも、自然の中でその日暮らしで生きてきた僕たち人類が、その社会性によって貨幣制度や超集団生活(国家)などを獲得したのも今から数千年前からだと考えると、今社会課題が山積みなことは仕方がない。不条理な殺し合いや苦しみが一切なくなることは、すぐに実現できることではないだろう。

しかし、すぐに実現できず時間がかかることが、何もせずに諦める理由にはならない。

誰がどのように平和を実現するのか

では、誰がどんな方法で世界を平和にするのか、言い換えると、社会課題を解決する人物は誰で、どんな方法なのだろうか。

これには、様々な方法があるはずだ。

エネルギー効率を飛躍させる技術を生み出す研究者、社会の意識を変え行動変容させる活動家、事業活動で社会課題を解決する社会起業家、より良い商品を選択する一人ひとりの消費者など、全員がより良い社会を実現させられる人物であり、僕たちの目の前には実は多くの選択肢が存在している。困っている友人に手を差し伸べることでも良いはずだ。

これを考えるときに、いつも『NARUTO』の物語を思い出す。「忍であっても、子どもが大人になる前に死ななくていいように」と志して”里”を作った柱間の意志を継いで、2代目、3代目、4代目火影、カカシ先生やイルカ先生からナルトに引き継がれて、世界を平和にした。

僕が思うに、全員が柱間やナルトの役割を担わなくても良い。「最初に始めた人」や「成し遂げた人」に焦点が当たるのはもちろんだが、それ以外の、例えば一楽のラーメン屋のおっちゃんやイルカ先生が欠けていればナルトは世界を守ることはできなかっただろうと思う。

僕にできることは何か

つまり、偉業を成し遂げることや何かを始めることは、とても尊く重要なことだが、もっと重要なことは以下の2つだと思う。

  1. 「より良い社会」への意志を継ぐこと
  2. それに沿った最大限の行動を取ること

自分の人生で、何かを成し遂げられるか、もしくは自分が影響を及ぼした人が成し遂げるかは、結果論でしかない。僕は、この2つを徹底して行う人生にしたい。

「より良い社会」への意志を継ぐこと

先日受けたインタビュー (YouTube)で、「未来に一つだけ残せるなら何を残しますか?」という質問をもらい、「意志を残したい」と回答した。

僕自身、小学生の頃に読んだマザーテレサの本から始まり、マザーハウスの山口さん、ユーグレナの出雲さん、グラミン銀行のユヌスさん、生協の父 賀川豊彦、そして同期の社会起業家/活動家の人たちから、多くの影響を受けてきた。

これらの尊敬する先人から繋いだ意志を枯らすことのなく大切に守りながら、同時に僕と関わる人に、数名でも良いから継いでいくことが重要だと思う。

個人的に「大切に守りながら」ということが見逃されがちだけど、とても大切だと思うので、別の記事で触れたい。

それに沿った最大限の行動を取ること

意志を継ぐことと同時に、それに沿った最大限の行動を取ることがなければ意味がない。そうなっては、せっかくガソリンを入れたのに、走ることなく廃車になる車みたいなもの。

極論だが、「最大限の行動」とは「社会へのインパクトの量」はそこまで重要ではないという考えが反映されている。1億円の寄付でも、街のゴミ拾いでも、その行動を取る在り方が重要であり、それを見た人にその意志が継がれていくと考えている。

一方で、ブイクック社においては「社会に与えたインパクト量」を重視している。これは社会的企業としてのスタンスであり変わることはないが、個人としてはどれだけ小さくとも「行動」にこそ価値があると考えている。

(おまけ)平和を願うのは利他なのか

最後まで読んでくださりありがとうございました。

「世界平和」について書いてきましたが、これは23年間の人生で考えた過程です。今後、色々な人と出会い、多くの仮説の成否が分かるたびに更新されていくものだし、更新されていくべきものだと思います。

ここまで読でくださった方に、「工藤はこんな風に考えてんだな」程度に思っていただけると嬉しいです。そしてぜひ話しましょう。

最後に、「平和を願うのは利他なのか?」という問いについて書いて終わりたいと思います。こういった活動をしていると「利他的ですね」と言われることが多いです。

実際に360度評価でも「無私」項目の他者評価が高かったりします。

https://note.com/kudoshu/n/n564308ee29ca

しかし、多くの起業家や活動家には共感されると思いますが、僕の活動はすごく利己的だと自分で考えています。

単純に、「良い人が報われない社会はクソだ」「のうのうと生きる大人のせいで、これから生まれてくる子どもに皺寄せがいくのはイヤだ」という、個人的な願いが元にある活動です。ただ、自分が暮らしていて「最高だ」と思える社会に近づけるためにやっている感覚に近い。

このあたりも、ぜひお会いした時にもお話しできると嬉しいです。

それでは、長くなってきたのでこの辺りで終わりにしたいと思います。最後まで読んでくださりありがとうございました。

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✏️ 書いている人

工藤 柊 / Kudo Shu

1999年2月28日大阪生まれ。高校3年生で環境問題・動物倫理からヴィーガン生活を開始。神戸大学国際人間科学部環境共生学科に入学後、学食へヴィーガンメニュー導入、ヴィーガンカフェThallo店長など活動。学生起業しNPO法人設立後、事業拡大のため2020年4月に株式会社ブイクックを創業。夢は世界平和。趣味は恋バナと漫画・アニメ。

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