こんにちは。工藤(@itllbedark)です。
平成7年1月17日午前5時46分。
阪神淡路大震災が発生しました。
24年前の震災を追悼するために、毎年神戸では式が行われるということで、参加することにしました。
神戸大学に通うようになってから、この地震は既に他人事ではなくなりました。大学の最寄駅が崩れたこと、24年前の神戸大学生が亡くなられたことを学び、その時が再びくる可能性があることにリアリティを感じるようになっています。
今回は、改めて震災について考える機会があったので、考えたことをまとめたものをシェアしたいと思います。
Table of Contents
1.17関連行事 めぐる
以前に東京で出会った、防災活動をする安田もえさん(@momocoront)が、1.17の前日の1月16日に神戸で災害・防災に関するワークショップ「めぐる」を開催するということで、参加してきました。
20人ほど参加者がいて、災害・防災系の活動している人がたくさん集まっていました。
このワークショップでは、少し変わった角度から問いを投げかけられました。
例えば、
「神戸は被災地ですか?未災地ですか?」
とい問いがあったので、皆さんも考えてみて欲しいと思います。
震災を語り継ぐこと
数時間をかけて震災についての問いと向き合い「震災を語り継ぐこと」について考えることができました。
高校生・大学生の20人の若者が震災や防災について真剣に語り合う機会は、新鮮でとても有意義な時間になりました。
いくつか感じたことや気付いたことがあるので書いていきます。
神戸の語り継ぎがすごい
神戸市では、成人式のオープニングで阪神淡路大震災の動画が流れ、黙祷をするようです。
最近インスタ映えしまくりの『BE KOBE』も震災を経験し乗り越えてきた魅力ある神戸人であれというメッセージがあるそうです。
あまり知られていないかもしれませんが、あの有名なルミナリエも20年以上も、震災復興の希望の象徴として続いています。
防災意識の高い若者たち
県外からの参加者が言うには、神戸の人は防災意識が高いということです。
特に若い人は、小中高の教育課程でがっつり災害や防災について学んでいるようで、大阪人の僕とは持っている情報や問題意識も全然違いました。
同じような年代の人たちが、自然と向き合い、失った命とこれから失いたくない大切な人たちのために行動している姿に感動し、僕もできることから始めなければと尻を叩かれました。
昨日お話聞いて、僕もその印象が強まりした。
・学校での教育
・成人式の黙祷
・ルミナリエ
・BE KOBE神戸という町の根本には、良い意味でも悪い意味でも、24年前の震災とその復興の際の人々の思いが今もなお存在するのだと体感しました。
— 工藤 柊🥕ブイクック (@kudoshu_vcook) January 17, 2019
教訓を活かして人類は前進する
防災関係で活動している人から聴くには、阪神淡路大震災では多くの教訓が得られたと言います。もちろん、多くの犠牲を伴って。
例えば、6434人の犠牲者の大半は圧死だったと言います。原因は、家具の固定をしていなかった、というただそれだけです。
そして、そのまま圧迫された状態で焼死した人も多かったそうです。
ただ口で「教訓を活かす」と言うだけでなく、しっかりと生活レベルにまで落とさなければいけないなと感じました。
アウシュビッツ強制収容所の見学と今回の1.17の追悼式に参加して
『歴史』に対する認識が大きく変わった。
何千年、何万年前という人類の歩みを振り返ることで
同じ間違いを犯すことなく、同じ成功の速度を上げることで100年という命の密度と、その集合体である社会のレベルをあげるものなんやなぁ。— 工藤 柊🥕ブイクック (@kudoshu_vcook) January 17, 2019
追悼式に参加して
三宮の公園で開催された追悼式に参加して、5時46分に黙祷を捧げました。それまでざわざわしていた会場も、その1分間は静まり、そこにいる全ての人が24年前のことを、そして今の大切な日々や人を想っていたことだと思います。
僕にとっても、まだ生まれていない頃のことを想像し、今の大切な人を改めて大切にしようと思えたてもいい経験になりました。
追悼式で最も心に残ったのは、竹灯籠に書かれた「幸」という文字でした。
24年前の今日、幸せな日常を突如奪われた人たちが何十万人といることに、そして今を生きる僕たちの幸せもいつ崩れるのかがわからないのだと、その一文字を見て感じました。
今、当たり前のように帰る場所があり、好きな人たちと過ごすことのできる幸せを大切にすること。そしてそれを失わないように最大限の努力を行いましょう。
まずは家具を倒れないように。
では。