原爆シーンを楽しそうと言った小学生の僕たちと、先生
「終戦の日」に近づき原爆関連の情報が耳に入るたびに、思い出すことがある。
小学6年生だった頃、修学旅行で広島に行くことになっていた。その前に、事前学習として、視聴覚室に集まって『はだしのゲン』を見る授業があった。
物語の内容は、多くの人が知っての通りだが、最悪だ。小学生だったゲンの視点で戦争や原爆被害、終戦後の生活まで自伝的に描かれている。(賛否あるけど漫画なのでね)
楽しそうやなぁ
視聴覚室で見たのは、主に広島への原爆投下の前後部分だったと思う。
物語が進んでいき、ゲンが落とした石を拾うためにしゃがんだ瞬間、町中が原爆の光に包まれる。その後、高熱が生き物を溶かし、爆風が建物を吹き飛ばした。
最悪なシーンだ。本当に最悪なシーンだと思う。しかし、小学生だった僕らの受け取り方は少し違った。
その原爆シーンを見た時、誰かがボソリと「まあでも、楽しそうやなぁ」と言った。そして周囲はそれに同調した。「せやな、せやな」と。
僕もまた「確かに、死にさえしやんかったらなぁ」などと言ったことを今でも覚えている。
今思えば、信じられない発言であり、雰囲気だった。
それでも、小学生だった僕たちの認識はその程度だった。戦争がどれだけの苦しみや悲しみを生んだのか、どれだけ悲惨だったのかを知らなかった。
あの場で、原爆シーンをつらい気持ちで見続けるよりも、なんとか楽しい雰囲気にして乗り越えたかったのだと思う。もしくは、無邪気にそう思っていたのかもしれない。
本気で怒ってくれる大人
話はそれでは終わらない。
「楽しそう」発言によってザワザワしていた視聴覚室だったが、『はだしのゲン』の映像が止まった。確か、当時僕の教室の担任だった先生が、リモコンで止めたのだと思う。
詳細なことは覚えていないけれど、めちゃくちゃ怒っていた。怒ってくれていた。
確か、「本気で楽しそうと思ったんか?」「そんなやつらは修学旅行で広島に行く意味なんかないわ」などと言ってくれた気がする。
僕はその先生の本気さが伝わって、「これは真剣な態度で臨むべきものなのだ」と思った。もちろん、ただ怖かったのもあったと思うけど。
こうやって本気で怒ってくれる大人がいたのは、僕の人生にとってとても恵まれたことだと思う。
ただの仕事だ、修学旅行プログラムの一環だ、と割り切って、そのままザワザワとしたまま放置もできたはずだった。それなのに、平和教育の目的を見失わず、小学生相手に真正面から向き合ってくれたのだ。期待してくれていたのだ。
この時期になると、その先生のことを思い出す。今もブログを書きながらカフェで泣きそうになっている。それだけ感謝しているということを再確認する。
クソなことをクソと言える大人に
あの頃から15年ほどが経ったが、今でもその先生の本気さは覚えている。
多くの人間と関わりながら人生を積み重ねていくと、真正面からぶつかることよりも、衝突をうまく避けることばかり上手くなってしまっているような気がする。
たとえ雰囲気が悪くなろうとも、相手が嫌な思いをしたとしても、僕は僕がクソだと思うことはクソだと言える大人で在りたい。そう思えるのは、本気で僕に向き合ってきてくれた大人たちのおかげだ。
だから僕もそう在りたい。
そうすれば、いつか15年後くらいに、今日の僕のように思い出してくれる人がいるかもしれない。
誰かが殺され、搾取されている状況で、中立やその場しのぎの協調は役に立たない。ただ、何も変わらずに死に続けるだけだ。
僕は、明確なNOを伝えられる人間として死んでいきたい。
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