理解できなくていい。できないから、
以前に『僕のヒーローアカデミア』のイベントで購入したタンブラーをよく使っている。デザインも自由に選べるようになっていて、とっても良い。

最初はデクや爆豪、お茶子ちゃんたちに憧れていたので、ヒーローモードで運用してきたのだけど、最近はめっきりヴィランモードだ。
特に、その中でも気に入っている言葉がある。

I don't care if you don't understand...
That's what makes us... heroes and villains.
- Tomura Shigaraki
これは史上最悪の敵(ヴィラン)である死柄木 弔が、大多数の人間を、社会全体の秩序を守る存在であるヒーローに向けた言葉だ。僕はよくこの言葉に背中を押される。
日本語での表現はこうだ。
理解できなくていい。
できないから、ヒーローと敵だ
- 死柄木 弔
理解されたいという欲求
当然、人間に生まれたからには、理解されたいという欲求はある。否定されたら傷ついたり、理解されなかったら寂しさを感じたりもする。
しかし、この欲求に従うならば「大多数の人々の良しとする価値観に従って生きる人生」を歩むことしか選択肢がない。
でも、本当にそれが僕たちの歩みたい人生なのだろうか。
この欲求との付き合い方を、27年間模索しながら僕は生きてきたように思う。しかし、その欲求に従う人生は嫌だという感情も同時に存在していた。だからモヤモヤ
理解できなくていい。できないから、
死柄木 弔は「できないから、ヒーローと敵だ」と言ったが、これは社会全体やマジョリティと相対するヴィランとして生きることを覚悟したからこその言葉だ。
僕は、多少の貧しさはあったが、障害もなく生まれ、家族や友人に恵まれ、相対的に生きやすい男性として、ラッキーにも生まれ育ってきた。
だけど、現状の社会への違和感を消せず、今ではマイノリティである"ヴィーガン"を、事業活動を通じて普及させようと毎日働いている。
すると、途端にマジョリティとなり、社会からはヴィランとして扱われる。それは間違っていない。マイノリティに視点を移せば、僕たちは動物性製品の選択肢や畜産業者などの仕事を奪おうとするヴィランなのだ。
時折、そのようにヴィランとして"ヒーロー側"から扱われた時、これまでの人生で染み込ませてきた理解されるような反射をしそうになる。でも、その反射は無意味だ。事実、ヴィラン側だからだ。
そんな時に、死柄木 弔の言葉を思い出す。
終わりに
一応断っておくと、僕は死柄木 弔のような破壊的な方法を取るつもりはない。
これまでの人類が築き上げてきた、民主主義や法治国家、資本主義のシステムへのリスペクトがあるからだ。
しかし、これらのシステムも、当時のヴィランたちが作ってきた。奴隷制度の撤廃、人種差別へのアンチテーゼ、そういうものと同じだと思っている。そういう積み重ね方を、僕たちもやっていきたい。
結果は、その時代が決める。それなら、精一杯にヴィランとして生きるのが良い。これまでの先人たちがやってきたように。
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