「忘れたくないけれど薄れていっても仕方ない」という記憶
先日、あかねさんが初個展を開催するということで、神奈川県の横須賀市というところまで行ってきた。(思っていた3倍遠かったが、思っていた10倍素敵な空間だった)
あかねさんとは、プレーリーカード時代に社会課題感度高めなスタートアップ仲間として出会った。それから、たまに朝会したり、一緒にカフェで仕事したり、渋谷の街をカメラで撮りにいったりと、個人的にずっと仲良くしていたい友人の一人だと思っている。
プレーリー卒業のタイミングでも、インタビュアーとして、引退記事の1つに関わらせてもらえて光栄だった。
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「忘れたくないけれど薄れていっても仕方ない」という記憶
すごい坂道を登って、個展の会場に辿り着き、最初にエアコンの風を5分ほど浴びてから、作品を拝見して回った。
「こんなものを発想できて、形にできて、それに人を集められるあかねさん、羨ましいな」と、創作意欲を掻き立てながら足を進めた。

展示の中の一つに、こんな問いがあった。
あなたにとって「忘れたくないけれど薄れていっても仕方ない」という記憶はなんですか?
最近、僕の中で考えていることと重なる部分があって、強く印象に残っている。個展後、ふとこの問いを思い出すことが何度かあった。
だからこのブログを書いてみている。
世界に対する拒絶感
椅子に座って、自分にとっての「忘れたくないけれど薄れていっても仕方ない」という記憶とは何かを考えてみた。
答えはすぐに浮かんできた。ここ最近、よく考えるテーマだったからだ。

「胸に穴が空いたような、苦しくてしかたなかったはずの世界に対する拒絶感」とポストイットに書いて、壁に貼り付けて帰ってきた。
こういう時、遠慮気味なフォントサイズで書いてしまって、余白を余らせてしまうのが、自分の嫌な癖だったりする。
高校生の頃は今の100倍くらい多感だった。文字通り、多くのことを感じられた。車に轢かれた猫を見て人間に絶望することができたし、戦争で将来の夢をみる余裕なんてない子どもがいると知ってその残酷さに苦しくなれた。こんな世界は間違っている、と心の底から拒絶できた。
それに比べて、今はどうだろうか。
家畜動物は日本だけでも9億匹以上が毎年屠殺され、毎日戦争で人が殺されて、気候危機では自然災害でまた人が死ぬ。こういった情報は、もはや日常となってしまった。(もちろんこれが日常なことはクソなのだけど)
どこかで、世界はそういうものなんだと、理解しようと、受け止めようとしてしまうようになった。
僕の脳みそは、果てしなく流れ込んでくる残酷な情報の一つ一つに多感になっていては、ストレス過多で生きられないと判断したのだと思う。今では、1匹の命、1人の人間、1つの不幸だけでは、僕は心を動かせなくなってしまった。
薄れていったとしても、
では、その世界を拒絶した記憶が薄れ、心が動きづらくなったから、うまく世界に適応して生きられるかと言えば、全くそうではない。
あの頃と同じ出来事があったとしても、今はもう同じような強烈な感情を抱くことができなくなった。それでも、それがどんな感情だったかは知っている。
記憶が薄れていったとしても、願いは残る。
同じように怒れなくなったとしても、理想が消えるわけではない。
僕の心の中心には、ただ「こんな世界に生きたい」という想いが残って、その理想に向けて今の世界を前に進めるために、日々仕事や生活に臨んでいる。
自動適応してしまう寂しさ
それでも、ふとした時に、自分の心が動かなくなっていることに気がつき、少し寂しくなる。
渋谷の街で車に轢かれたネズミや鳩を見ても、もうあの猫を見た時の絶望は感じられない。毎日の戦争のニュースに腹が立つことはあっても、胸を強く苦しめられることはなくなってしまった。
僕も人間である以上、脳みそがストレスに自動適応してしまうことに抗えない。それなら、その自動適応を利用するしかない。
僕は別に世界を嘆きたいわけじゃない。
最高の世界に少しでも近づけて、その世界でのんびりと過ごしたいのだ。誰も不条理に殺されたり苦しめられたりしない世界になれば、きっと罪悪感は一切なく、外から聞こえる虫の声を子守唄に、畳でうとうとと平和な時間を満喫できるに違いない。
世界への拒絶感と同時に生まれた、「こんな世界だったらいいのに」という希望や夢だけは胸の中に大切にしまっておきたい。

素敵な空間と出会い、良い問いをありがとうございました。
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