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歩道橋ばいばい

小学校の頃、仲の良かった友だちが2人いた。 よく3人で学校から帰ったり、それぞれの家で集まって、カードゲームやDSで遊んだ。 彼らと出会ったのは、小学校に入学したばかりの頃だ。

同じクラスだった一人と仲が良くなり、その友だちのもう一人とも仲良くなった。 少し離れた幼稚園に通っていた僕にとって、小学校で初めてできた友だちだったと思う。

もう正確には覚えていないけれど、小学校3年生か4年生の頃だったと思う。 「歩道橋ばいばい」というノリが僕たちの中で一時的に流行ったことがあった。

その呼び方を当時の僕たちがしていたのか、大人になった僕がそのことを振り返って名づけたのかは覚えていないけど、今でも小学生時代の記憶として「歩道橋ばいばい」が頭の中にも、心の中にも残っている。

僕が通っていた小学校には、広い校庭があった。 校門から入ると、まずその校庭があり、その先に校舎が建っていた。

そして、校門のすぐ手前には太い道路があり、車の通りが多かったため、例の「歩道橋」があった。 僕たちは、毎日その歩道橋を渡って通学し、その歩道橋を渡って家に帰った。 少し錆がかった薄緑の歩道橋だった。とても懐かしい。

「歩道橋ばいばい」とは、その歩道橋からばいばいと手を振るのだ。 しかし、それは気持ちの良いものではなかった。

まず、仲の良かった3人のうち、一人を置いて先に学校を出る。 残された一人は、不思議に思いながら下駄箱で靴を履き替えて校舎を出る。 すると、すでに2人は校庭の向こう、歩道橋の上にいて、一人を見下ろしながら「ばいばーい!」と手を振るのだ。

僕は、その一人になった時にどうしたかを、どんな感情だったかを今でも覚えている。 正確には、最近意識的に思い出してみた。

「ばいばーい!」と、僕は手を振り返した。 なんでもないフリをして、平気な顔をして一人で帰った。

これが、今思い出せる限りでは最も古い「感情に蓋をした記憶」だ。

そしてこれは、僕をターゲットにしたイジメではなく、仲良しグループのただのノリだった。 だから僕も2人側になったこともある。

僕には「弱さを見せてはいけない」という思い込みや、「誰かに傷つけられた時、平気なふりをする」という癖がある。 そのことをもっと理解し、克服できるように、意識的にこの記憶を思い出してみた。

あの時、僕はどんな気持ちだったんだろうか。 本当はどうしたかったのだろうか。

蓋をしてしまった感情に向き合う時が、やっと来たのだと思う。 いや、その感情に向き合っても大丈夫な状況が整ったのだと思う。

僕はあの時、傷ついたのだ。

小学校で初めてできた友だちに、裏切られて悲しかった。 「なんでこんなことすんねん!」と理解し難い怒りがあった。

そして、その感情に蓋をした。

瞬時に、友だちから攻撃してくる"敵"と判断し、その"敵"を喜ばせたくなかったのだ。 怒りに任せて彼らを追いかければ、嬉々として笑って逃げていくに違いない。 僕は彼らを喜ばせたくなかったし、逃げる背中を見て、これ以上傷つきたくなかったんだと思う。

今振り返れば、「小学生なんてそんなもんだ」という一言で終わらせられる。 でも、小学生の僕にとってそれが世界のすべてであり、初めの友だちは大切な存在だった。

その時、本当はどうしたかったんだろうか。 目を瞑って、小学生の自分の視点で思い出してみる。

たぶん、僕は彼らを全速力で追いかけたかった。 追いついたら、「なんでこんなことすんねん!」「おもんないねん!」と怒りをぶつけたかった。 「友だちじゃないんかよ!」と傷ついたことを理解してほしかった。 きっと、泣きながら伝えることになると思うけど、それでも本当はそう言いたかったんだと思う。

蓋を開ける準備

この記憶を思い出すことができて、もっと自分のことを理解することができた。

26歳の学びの一つに「過去の解釈を変えることで、人格はリデザインできる」というものがある。 過去の出来事は変えられなくとも、それによって自分が受けた影響は変えられる。

その影響で形作られた「人格」のように思っていた、事象に対する反応パターンは、今からでも変えられるということだ。

ただ、この「平気なふりをする」という思考の癖に助けられてきたのは間違いない。 辛いことがあっても、近しい人から裏切られても、この癖が僕を守ってくれていたのだと思う。

その蓋を開けて、こんな文章を書いているのは、きっとその準備が整ったからだと思う。 ありがたいことに、この癖を手放しても大丈夫な状況になれた。 世界で最も信頼できるパートナーと結婚し、信頼できる仲間と仕事ができ、一生仲良くしたい友人が何人もできた。

自分の恵まれている環境に感謝しながら、もっと人格を磨いていきたい。 みんなから貰ったものを、それ以上にして僕も世界に返していきたい。

感謝を込めて。